量子力学の様々な構成方法 第10部 第6章 §10.6.5 ★★★ 幾何学的量子化は偏極と整数条件を要し、偏極の選び方で答えが ℏ2 の大きさだけ変わる。変形量子化はどの相空間でも ⋆ 積を与えるが、形式的な級数で Hilbert 空間を持たない
偏極が取れない相空間
偏極は、相空間の各点で Lagrange 部分空間を滑らかに選ぶことだった(第10部第4章)。これはいつでもできるとは限らない。
命題 10.6.7(球面には実偏極が無い ★★)
球面 S2(ωS=Ssinϑdϑ∧dφ)には実偏極が無い。
証明
2次元では1次元の部分空間は自動的に Lagrange で、可積分条件も自動的に満たされるので、実偏極は「各点で接平面の中の直線を滑らかに選ぶこと」(線の場)と同じである。線の場があれば、各点で直線上の単位ベクトル2つを選ぶことで S2 の2重被覆を作ることができる。S2 は単連結なので2重被覆は2枚の S2 に分かれ、その1枚を取ると0にならないベクトル場が得られる。これは「球面上の連続なベクトル場は必ず0になる点を持つ」という定理(毛の生えた球の定理)に反する。
球面には正の正則偏極があり、第10部第5章ではそれでスピンを作った(第10部第5章)。逆に、正則偏極が取れない相空間もある。W. P. Thurston は、コンパクトなシンプレクティック多様体で Kähler 構造を持たないものの例を示した1W. P. Thurston (1976), “Some simple examples of symplectic manifolds”, Proc. Amer. Math. Soc. 55, 467–468。。正の正則偏極は Kähler 構造を与えるので、このような相空間には正の正則偏極が無い。一方、De Wilde–Lecomte・Fedosov の結果から、どのシンプレクティック多様体にも ⋆ 積はある。
整数条件
幾何学的量子化は、前量子化の線束が存在するために ∫Σω/(2πℏ)∈Z(閉曲面 Σ ごと)を要した(第10部第3章)。球面では 2S/ℏ∈Z、面積 A のトーラスでは N=κA/(2πℏ)∈Z である。スピンの大きさや Landau 準位の縮退度が整数になることは、この条件の幾何の表れである。しかし同時に、条件を満たさない ℏ では Hilbert 空間そのものを作ることができない。変形量子化には条件が無く、トーラスでは任意の ℏ で ⋆ 積がある(章末の総合問題で具体的に作る)。その代わり、変形量子化の側では「Hilbert 空間の上で表現できるか」が別の問題として残り、トーラスでは有限次元の表現があるのが κA/(2πℏ) が整数のときに限られることが総合問題で示される。条件は消えたのではなく、⋆ 積を作る段階から表現を作る段階へ移っている。
偏極の選び方で答えが変わる
平面の線形な偏極(鉛直・水平・正則)どうしは半形式つきの BKS の対で移り合い、偏極を保つ関数のスペクトルは偏極によらなかった(第10部第5章)。偏極が非線形になると、この一致は崩れる。第10部第5章では、エネルギーの等高線を葉とする実偏極(軌道の偏極)で振動子を量子化すると、半形式つきでBohr–Sommerfeld 条件 ∮pdq=2πℏ(n+21) が厳密な量子化条件になることを示した。この偏極ではハミルトニアン H が葉の上で定数なので、H は偏極を保ち、そのまま掛け算として量子化される。したがって、同じ H を
- 鉛直の偏極(位置表示)で量子化すると Schrödinger 作用素 −2mℏ2∂q2+V(q) のスペクトル(Weyl 量子化と同じ)、
- 軌道の偏極で量子化すると Bohr–Sommerfeld 条件の解、
の2つの答えが出る。調和振動子では両者が一致するが、一般の V では一致しない。第10部第5章の例題は V=q4 でこの差を数値で示した。ここでは差の構造を ℏ の次数で見る。
命題 10.6.8(4次の摂動での2つの偏極の差 ★★★)
H=2mp2+2mω2q2+λq4 の n 番目の準位の λ の1次の項は、鉛直の偏極(Weyl 量子化)と軌道の偏極(半形式つき Bohr–Sommerfeld)でそれぞれ
En(1),vert=λ(2mωℏ)2(6n2+6n+3),En(1),orb=λ(2mωℏ)2(6n2+6n+23)(10.6.18)
で、差は n によらない 8m2ω23λℏ2 である。
証明
鉛直の偏極では q4 の Weyl 量子化は q^4 そのものなので、1次の項は ⟨n∣q^4∣n⟩ である。q^=ℏ/(2mω)(a^+a^†) で、(a^+a^†)4 の対角要素はa^ と a^† を2個ずつ含む6通りの並びの和である。a^a^a^†a^† が (n+1)(n+2)、a^†a^†a^a^ が n(n−1)、a^a^†a^a^† が (n+1)2、a^†a^a^†a^ が n2、a^a^†a^†a^ と a^†a^a^a^† がどちらも n(n+1) で、和は 6n2+6n+3 になる。
軌道の偏極では、量子化条件が作用変数 J=2π1∮pdq=ℏ(n+21) で、エネルギーは J の関数として E(J)=ωJ+λ⟨q4⟩J+O(λ2) である。1次の項は、λ=0 の軌道 q=2J/(mω)sinθ の上での q4 の平均(正準摂動論の1次)で、⟨sin4θ⟩=83 から ⟨q4⟩J=23(mωJ)2。J=ℏ(n+21) を入れると 23(mωℏ)2(n+21)2=(2mωℏ)2(6n2+6n+23)。差は (2mωℏ)2⋅23=8m2ω23ℏ2。
差の出どころは、q4 が偏極を保つかどうかにある。鉛直の偏極は q4 を保つので、q4 は掛け算のまま厳密に量子化される。軌道の偏極は q4 を保たず、この偏極で厳密に扱えるのは H の関数だけで、q4 はその軌道平均に置き換わる。変形量子化の言葉では、⟨n∣q^4∣n⟩=∫Wnq4dqdp の Wn を、その ℏ→0 の極限 (ω/2π)δ(H−En)(第5部第5章)で置き換えたものが軌道平均である。Wn の等高線の近くの振動を軌道平均で落としたことが、n によらない ℏ2 の差になる。主要な 6n2+6n は両者で一致し、相対的な差は n→∞ で 1/n2 のように小さくなる。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの λℏ/(m2ω3)→0(4次の項が振動子の準位の間隔に比べて小さい)で λ の1次で比べる | 証明 証明済み(摂動級数は発散する=Bender–Wu 1969 だが、固有値の漸近級数であることは B. Simon (1970), Ann. Phys. 58, 76 が証明した。1次で打ち切った誤差は O(λ2)) | 行き先 近似の数理 第7章
例題 10.6.5 λ=0.01 での2つの偏極の数値比較 ★★
オリジナルℏ=m=ω=1、λ=0.01 とする。
- (1) Schrödinger 作用素を振動子の基底60個で対角化した準位 E0,…,E3 と、∮pdq=2π(n+21) を数値で解いた準位を比べよ。
- (2) 差を命題 10.6.8 の予言 3λ/8 と比べ、ずれの原因を述べよ。
解答
(1) 対角化で得た準位は 0.50726、1.53565、2.59085、3.67110、Bohr–Sommerfeld 条件の解は 0.50370、1.53242、2.58789、3.66836 である。差は 0.00356、0.00323、0.00296、0.00273 である(verify で両方を計算した)。
(2) 予言は 3λ/8=0.00375。n=0 で差は予言の 0.949 倍で、n が大きいほど比が下がる。λ の2次の項は n の3次で増えるので、λ=0.01 では n=3 で既に1次の比較からずれる。λ を 0.005、0.002 に下げると n=0 での比は 0.973、0.989 と1に近づく(図 10.6.2)。どの λ でも厳密な準位の方が Bohr–Sommerfeld より上にあり、軌道の偏極が4次の項の寄与を小さく見積もっている。

図 10.6.2 H=p2/2+q2/2+λq4(ℏ=m=ω=1)で、鉛直の偏極(Schrödinger 作用素の対角化)と軌道の偏極(半形式つき Bohr–Sommerfeld)の準位の差を、命題 10.6.8 の1次の予言 3λ/8 で割ったもの。実線は数値の結果(近似を含まない2つの量子化の差)、点線が λ の1次の予言。λ→0 で比は1に近づく。
2つの道の限界を並べる
Groenewold の定理(第10部第1章)は、Poisson 括弧を交換子に厳密に写す量子化がすべての関数の上では無いことを述べた。2つの道はこの定理を別々の向きに避けている。
| 幾何学的量子化 | 変形量子化 |
| Groenewold の避け方 | 括弧を厳密に保ち、量子化する関数を偏極を保つものに絞る | すべての関数を扱い、括弧を ℏ の最低次だけ保つ(Moyal 括弧) |
| 入力 | ω・線束と接続・偏極・半形式 | Poisson 構造だけ |
| ℏ | 数。整数条件を満たす値だけ | 形式的なパラメータ。条件なし |
| 作るもの | Hilbert 空間と演算子 | 関数の代数(⋆ 積) |
| 限界 | 偏極が無い相空間(球面の実偏極・Thurston の例の正則偏極)、非線形な偏極で答えが変わる | 級数の収束は一般には保証されない。状態と表現は別に作る必要がある |
変形量子化の級数 (10.6.1) は形式的で、多項式や Gauss 関数のように有限項で切れるか閉じた式になる場合を除くと、収束するとは限らない。3節の振動子の ⋆ 指数関数が ∣ωt∣<π でしか式 (10.6.13) の形を持たない(cos(ωt/2)=0 で発散する)ことも、関数の言葉だけでは時間発展を全時間で扱いにくいことの例である。Hilbert 空間の上の演算子にすれば e−iH^t/ℏ はすべての t でユニタリで、式 (10.6.14) の右辺もすべての t で意味を持つ。
1 W. P. Thurston (1976), “Some simple examples of symplectic manifolds”, Proc. Amer. Math. Soc. 55, 467–468。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com