ハミルトニアンの選び方で固体を考える 第3部 第3章 §3.3.5 ★★★ 調和近似はフォノンを無限に長生きさせ、1フォノン近似は 2W の高次を捨て、Raman の分極率の展開は電子が原子に遅れずについてくると仮定した
この章で使ったのは、式 (3.3.2) の調和近似と、式 (3.3.8) の展開の1次の項と、光の散乱を分極率の1次で書く近似である。どれも測ったスペクトルに痕跡が残る。
調和近似:フォノンの寿命と温度変化
調和近似ではフォノンは互いに独立で、a^†a^ が保存し、式 (3.3.9) は鋭い δ 関数になる。実際の原子間ポテンシャルには3次・4次の項があり、フォノンは別の2個に分かれたり、別のフォノンとぶつかったりして有限の時間で消える。寿命を τ とすると、δ 関数は幅(半値全幅)ℏ/τ の Lorentz 関数に広がる。熱膨張で格子定数が変わることと4次の項のため、ピークの位置も温度とともにずれる(多くの結晶で温度が上がると周波数が下がる)。ピークの幅と位置の温度変化は、捨てた非調和の項を測る量になる。同じ非調和の項が熱伝導を有限にする話は 第3部第2章 で扱う。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの ⟨u2⟩/a→0 と質量比 (me/M)1/4→0(調和近似と Born–Oppenheimer 近似) | 証明 条件付き(Born–Oppenheimer は第V巻第7章の範囲で証明済み。そもそも基底状態が結晶になること自体は未解決) | 行き先 近似の数理 第7章
1フォノン近似:多フォノン散乱
式 (3.3.8) の指数関数を1次で打ち切った。2次の項はフォノン2個の出入りで、κ と ω の条件が2つのフォノンに分けられるので、特定の点に鋭く集まらず、なだらかな背景になる。打ち切りの大きさは 2W=⟨(κ⋅u^)2⟩ で測られ、ℓ フォノンの項は大まかに (2W)ℓ/ℓ! の程度である。調和近似の中では式 (3.3.8) は厳密で、指数関数の級数は絶対収束するので、打ち切りの誤差は次の例題のように評価することができる。κ を大きくして強度を稼ぐと 2W も大きくなり、1フォノンの割合が落ちる。3.3.2 節の「第四の因子」の競合はこのことである。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの 2W=⟨(κ⋅u^)2⟩→0(多フォノンの項を捨てる) | 証明 条件付き(調和近似のもとで、Bloch の等式の指数関数の級数として収束し、誤差は評価できる) | 行き先 近似の数理 第7章
分極率の展開:電子は原子に遅れない
式 (3.3.10) では、分極率を「その瞬間の原子の配置だけの関数」とした。これは、光の周波数で揺れる電子が、ゆっくり動く原子の配置に断熱的についていくという仮定で、Born–Oppenheimer 近似と同じ型の近似である(G. Placzek の分極率近似)。入射光の ℏωi が電子の励起のエネルギー(半導体ならバンドギャップ)から十分離れていれば成り立つが、近づくと Raman 線の強さが大きく増え(共鳴 Raman 散乱)、分極率の展開では書けなくなる。小さいパラメータの正確な形と、どの前提で展開が正当化されるかは、原論文で確かめていない。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの ℏΩ/(Egap−ℏωi)→0(電子の応答が原子の動きに断熱的についていく分極率近似) | 証明 要確認(Placzek の近似の前提と誤差の評価を原論文で確かめていない) | 行き先 近似の数理 第7章
例題 3.3.6 多フォノンの割合とフォノンの寿命 ★★
オリジナル
- (1) 各方向に独立に角振動数 ωE で揺れる原子(Einstein 模型。M=63.55u、ℏωE=kB⋅240K、T=300K)を考える。この模型では ℓ 個のフォノンの出入りの重み(生成と吸収の和)が厳密にPℓ=e−2W(eℓx/2+e−ℓx/2)Iℓ(y)(ℓ≥1)、P0=e−2WI0(y) になる。ここで x=βℏωE、r=ℏκ2/(2MωE)、2W=rcoth(x/2)、y=r/sinh(x/2)、Iℓ は変形 Bessel 関数である。κ=3A˚−1 と 8A˚−1 で P0、P1、P2 を求めよ。
- (2) (1) の P1 を y→0 で展開し、命題 3.3.1 の (nB+1)+nB の形に戻ることを示せ。
- (3) Raman 線の半値全幅が 3.0cm−1 のとき、フォノンの寿命を求めよ。
解答
(1) κ=3A˚−1:r=0.0143、2W=0.0377、y=0.0348 で、P0=0.963、P1=0.0363、P2=3.9×10−4。κ=8A˚−1:r=0.102、2W=0.268、y=0.248 で、P0=0.777、P1=0.206、P2=0.0158。κ を 8/3 倍にすると1フォノンの重みは約6倍になるが、2フォノンの割合が1フォノンの 1% から 8% に増える。和 ∑ℓPℓ はどちらも 1 になる。κ=3A˚−1 の 2W は、第1部第3章の例題で (111) 反射の Debye–Waller 因子を求めたときの値 0.0379 とほぼ同じ κ である。
(2) I1(y)≈y/2、e−2W→1 とすると P1≈2sinh(x/2)r(ex/2+e−x/2)。ex/2/(2sinh(x/2))=1/(1−e−x)=nB+1、e−x/2/(2sinh(x/2))=nB なので、P1≈r[(nB+1)+nB] で、r=ℏκ2/(2MωE) は式 (3.3.9) の係数(1方向なので (κ⋅e)2=κ2)に一致する。
(3) 幅をエネルギーで書くと ΔE=hc⋅3.0cm−1、τ=ℏ/ΔE=1/(2πc⋅3.0cm−1)=1.77ps。光学フォノンの周期 1/(15.6THz)=0.064ps の約 28 倍で、フォノンは数十回振動するあいだ生きている。調和近似の描像が成り立つのは、この比が大きいからである。
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