光学と量子エレクトロニクス 第1章 §1.3 ★★★ 結合 −d^⋅E に2つの B 型の近似(ka0→0 と Ω/ω0→0)を当てると、2準位系と光の問題は 2×2 の時間に依らない行列になる
双極子近似
原子の大きさは Bohr 半径 a0=5.29×10−11m の桁で、可視光の波長 λ≈500nm より4桁小さい。光の電場 E(r,t)=Re[E0ei(k⋅r−ωt)] は、原子の大きさの範囲ではほぼ一定とみなせる。原子の中心 r0 のまわりで eik⋅r=eik⋅r0[1+ik⋅(r−r0)+⋯] と展開して第1項だけを残すと、原子と光の相互作用は
H^int=−d^⋅E(r0,t)(1.11)
になる。これが双極子近似で、小さいパラメータは ka0=2πa0/λ である。展開の第2項は磁気双極子と電気四重極の相互作用にあたり、deg=0 になる遷移(選択則で禁制の遷移)では第2項が主になる。最小結合 (p^+eA)2/(2m) から式 (1.11) への書き換え(Göppert-Mayer のゲージ変換)は解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第4部第12章 にある。
回転波近似
2準位系に式 (1.11) を入れると、Hamiltonian は H^=2ℏω0σz−ℏΩcos(ωLt)(σ++σ−) になる。ここで ωL はレーザーの角周波数、Ω=deg⋅E0/ℏ は Rabi 周波数である。cos(ωLt)=21(e−iωLt+eiωLt) と分けると、結合は4つの項 σ+e−iωLt・σ−eiωLt・σ+eiωLt・σ−e−iωLt を含む。原子の自由な時間発展では σ± が e±iω0t で回るので、前の2つは e±i(ω0−ωL)t でゆっくり回り、後の2つは e±i(ω0+ωL)t で速く回る。速く回る項は、Rabi 周波数の時間尺度 1/Ω で平均すると O(Ω/ω0) の寄与しか残さない。これを捨てるのが回転波近似(RWA)である。
回転波近似のあとで、角周波数 ωL で回る座標(eiωLtσz/2 で状態を変換した座標)に移ると、時間依存が消えて
H^=−2ℏΔσz−2ℏΩσx,Δ=ωL−ω0(1.12)
になる(この本の流儀では離調 Δ はレーザー − 原子で、Δ<0 が赤い離調)。2×2 の時間に依らない行列なので、時間発展は対角化で求まる。t=0 に ∣g⟩ にあった原子が ∣e⟩ に見つかる確率は
Pe(t)=Ω′2Ω2sin22Ω′t,Ω′=Ω2+Δ2(1.13)
で、共鳴(Δ=0)では sin2(Ωt/2) で上下の準位を行き来する。これが Rabi 振動で、第18・19章の主題である(第18章・第19章)。同じ 2×2 の行列は磁場中のスピンの歳差と同じ形をしている(解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第4部第5章)。
図 1.1 は、共鳴で Ω/ω0=0.1 のとき、回転波近似の式 (1.13) と、速く回る項を残したまま Schrödinger 方程式を数値で解いた結果を比べたものである。厳密な解は回転波近似の曲線のまわりで周期 π/ω0 の小さな振動をし、山の位置も少しずれる。Ω/ω0=0.1 でずれは最大 0.024 で、実際の原子と可視光ではΩ/ω0 は 10−8 の桁(例題 1.3)なので、ずれは図に描けないほど小さい。

図 1.1 共鳴(Δ=0)で Ω/ω0=0.1 の2準位系の Rabi 振動。実線は回転波近似の式 (1.13)、点線は速く回る項を残した H^=2ℏω0σz−ℏΩcos(ω0t)σx の Schrödinger 方程式を数値で解いた結果である。点線は実線のまわりで角周波数 2ω0 の小さな振動をする。
何を近似したか
この節までに置いた近似は3つある。1つ目は原子の多くの準位から2つだけを残したこと、2つ目は電場を原子の位置の値で置き換えたこと(双極子近似)、3つ目は速く回る項を捨てたこと(回転波近似)である。さらに、この章では光を古典の電場 E(t) として扱った(半古典の扱い)。光を量子化したモードとして扱う必要が出るのは第6部で、そこでは式 (1.12) の Ω が光子の演算子に置き換わる(第34章)。
近似の裏付け
型 A(射影) | 小さいもの ∣g⟩ と ∣e⟩ が張る2次元の部分空間(ほかの準位への離調が Ω と Δ より十分大きい) | 証明 要確認(ほかの準位への漏れの大きさを評価する定理の形は確かめていない) | 行き先 近似の数理 第4章
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの ka0=2πa0/λ→0(原子が波長より十分小さい) | 証明 要確認(多重極展開の第1項。展開の打ち切りの誤差の評価は原論文で確かめていない) | 行き先 近似の数理 第7章
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの Ω/ω0→0 かつ ∣Δ∣/ω0→0(速く回る項を時間平均で捨てる) | 証明 条件付き(時間 1/Ω の桁の範囲で誤差が O(Ω/ω0)。周期的な係数の常微分方程式に対する平均化の定理による。強い結合では Bloch–Siegert のずれが残る) | 行き先 近似の数理 第7章
例題 1.3 弱いレーザー光の Rabi 周波数と2つの小さいパラメータ ★★
オリジナル遷移の波長 λ0=780nm、双極子の行列要素 d=2.5ea0 の2準位原子(与えられた値として使う)に、強度 I=10mWcm−2 の共鳴の光を当てる。強度と電場の振幅の関係は I=21cε0E02(真空)とする。
- (1) E0 と Rabi 周波数 Ω を求めよ。Ω/2π を MHz で答えよ。
- (2) 回転波近似の小さいパラメータ Ω/ω0 と、双極子近似の小さいパラメータ ka0 を求めよ。
- (3) 原子を ∣g⟩ から ∣e⟩ へ移しきる光のパルス(π パルス)の長さを求めよ。
解答
(1) I=100Wm−2 なので E0=2I/(cε0)=200/(2.998×108×8.854×10−12)≈274Vm−1。d=2.5×1.602×10−19×5.292×10−11≈2.12×10−29Cm で、Ω=dE0/ℏ=2.12×10−29×274/1.0546×10−34≈5.52×107s−1、Ω/2π≈8.78MHz である。
(2) ω0=2πc/λ0≈2.41×1015s−1 なので Ω/ω0≈2.3×10−8。ka0=2π×5.29×10−11/7.8×10−7≈4.3×10−4。どちらも小さく、2つの近似はこの条件で十分に成り立つ。回転波近似の小さいパラメータは双極子近似のものより4桁小さい。
(3) 共鳴で Pe=sin2(Ωt/2) が 1 になるのは Ωt=π のときで、t=π/Ω≈57ns である。光の周期 2.6fs の約 2×107 倍の時間をかけて、原子はゆっくりと上の準位へ移る。
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