相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第4章 §4.4.1 ★★★ 測定の結果 y で更新した分布と平衡分布の D を y で平均すると相互情報量になる。Gibbs の変分原理から、取り出せる仕事の上限は kBTI(X;Y)
1929 年に L. Szilard は、分子1個だけを入れた箱の模型で、Maxwell の悪魔の問題を具体的な計算に落とした(L. Szilard (1929), Z. Phys. 53, 840)。箱の真ん中に仕切りを入れ、分子が左右どちらにいるかを測り、いる側の壁を押させながら仕切りをゆっくり動かすと、ただ1つの熱浴から kBTln2 の仕事を取り出すことができる。これを繰り返せば、熱力学の第二法則(Kelvin の原理)に反するように見える。Szilard は、測ること自体に代償があるはずだと考えた。この問いは、測定・記録・消去のどこに代償があるかをめぐって、Brillouin、Landauer、Bennett へと引き継がれた。
この章は、測定とフィードバック(測った結果で操作を変えること)を含む過程の第二法則を、この巻の背骨である相対エントロピー D で書く。比べる2つの分布は、測定の後で知っている分布 p(x∣y) と、測定の前の平衡分布 peq(x) である(4.4.1 節)。その D を測定の結果で平均したものが相互情報量 I(X;Y) になり、Gibbs の変分原理(第2部第2章)を当てると、取り出せる仕事の上限は kBTI(X;Y) になる。4.4.2 節では、測定に誤りがある Szilard エンジンで、仕切りを事後確率の位置まで動かすとちょうどこの上限に達し、それ以外の操作では D の分だけ損をすることを計算する。
4.4.3 節で、この結果を1本1本の経路の言葉に上げる。測定を含む経路の確率と、測定の結果ごとに操作を逆回しにした経路の確率を比べると、その比の対数は β(W−ΔF)+I(x;y) になる。これは前の章(第4部第2章・第4部第3章)の「経路の確率と逆回しの経路の確率の比が仕事を決める」という関係に、測定で得た情報の項を1つ足したものである。ここから 4.4.4 節で、沙川–上田の2つの結果、測定つきの第二法則 ⟨W⟩≥ΔF−kBTI(X;Y) と一般化 Jarzynski 等式 ⟨e−β(W−ΔF)−I⟩=1 を導く(T. Sagawa and M. Ueda (2010), Phys. Rev. Lett. 104, 090602)。4.4.5 節では、等号が成り立つ条件と、有限の速さで操作したときの損失を調べ、最後に悪魔の帳尻、つまり測定で得た情報の代償をどこで払うかの問いを、次の章 第4部第5章 へ渡す形で整理する。
エントロピーと相互情報量は自然対数で書き、単位は nat とする。仕事 W は系がされる仕事を正とし、取り出す仕事は −W である(記法の正本どおり)。この章では、測定の結果ごとの値 I(x;y):=lnp(y)p(y∣x) を相互情報量の確率変数版と呼び、その平均が I(X;Y) である。定義に記号 := を使う。
1分子の Szilard エンジン
体積 V の箱に分子を1個だけ入れ、温度 T の熱浴に接しておく。分子は壁と熱浴の分子に当たって、箱の中を一様に動き回る。この「1分子の気体」の操作は、図 4.4.1 の4段からなる。
- (a) 箱の真ん中に、厚さの無い仕切りをすばやく入れる。仕切りを入れるときに分子に触れないので、仕事は要らない。分子は確率 1/2 で左、1/2 で右にいる。
- (b) 分子がどちらにいるかを測る。結果を y∈{L,R} と書く。
- (c) 分子がいる側の仕切りを、熱浴に接したままゆっくり反対側の壁まで動かす。分子は仕切りを押し、仕切りにつないだおもりを持ち上げる。
- (d) 仕切りが壁に着いたら取り去る。分子は箱全体を動き回る初めの状態に戻る。
(c) は1分子の気体の等温膨張である。1分子の理想気体の状態方程式 PV=kBT から、体積が V/2 から V まで広がる間に気体がする仕事は
−W=∫V/2VV′kBTdV′=kBTln2(4.4.1)
である。1回の操作で系は元に戻り、自由エネルギーの差は ΔF=0 なので、熱浴から kBTln2 の熱を受け取ってそれをそのまま仕事に変えたことになる。これは「ただ1つの熱浴から熱を受け取り、それをすべて仕事に変えて元に戻る過程は無い」という Kelvin の原理に反するように見える。(b) の測定が無ければ、(c) でどちらの壁へ仕切りを動かせばよいかが分からないので、仕事を取り出すことはできない。したがって、取り出した kBTln2 は測定で得た1ビットの情報と引き換えである。この節では、この対応を相対エントロピーで定量的に書く。

図 4.4.1 1分子の Szilard エンジン。(a) 仕切りを入れる。(b) 分子のいる側を測る。(c) 分子のいる側の仕切りを熱浴に接したままゆっくり反対の壁まで動かし、kBTln2 の仕事を取り出す。(d) 仕切りを取り去り、初めの状態に戻る。測定の結果が誤っていると、(c) で分子のいない側を広げることになり、逆に仕事を払う(4.4.2 節)。
測定で分布を更新する
一般の形で書く。系の状態を x、測定の前の分布を p(x) とする。測定器は、状態が x のとき確率 p(y∣x) で結果 y を出す。この p(y∣x) は第1部の通信路 W(y∣x) と同じもので、測定器は「系の状態を入力、結果を出力とする通信路」である。結果 y を得た後に知っている分布は、Bayes の定理による事後分布
p(x∣y)=p(y)p(y∣x)p(x),p(y)=x∑p(y∣x)p(x)(4.4.2)
である。測定は系に触れず、系のエネルギーも変えないとする。このとき系の状態そのものは変わらず、変わるのは系についての知識だけである。この知識の変化を、測定の前の分布 pX との D で測る。
命題 4.4.1(事後分布の D の平均は相互情報量 ★★★)
y∑p(y)D(pX∣y∥pX)=I(X;Y).(4.4.3)
ここで pX∣y は x↦p(x∣y) という分布を表す。
証明
左辺を書き下すと
y∑p(y)x∑p(x∣y)lnp(x)p(x∣y)=x,y∑p(x,y)lnp(x)p(y)p(x,y)=D(pXY∥pXpY)
で、最後の式が相互情報量の定義(第1部第3章)である。
式 (4.4.3) の各項 D(pX∣y∥pX) は、結果 y を見たことで分布が測定の前からどれだけ離れたかを測る。離れ方は y によって違い、平均すると I(X;Y) になる。I(X;Y) の値は測定器の通信路 p(y∣x) と測定の前の分布 p(x) だけで決まり、測った後にどう操作するかにはよらない。
取り出せる仕事の上限
測定の前の分布が、今の Hamiltonian E(x) の Gibbs 分布 peq(x)=e−βE(x)/Z だとする。Gibbs の変分原理(第2部第2章)は、任意の分布 p の非平衡の自由エネルギー F[p]=⟨E⟩p−kBTH(p) について
F[p]−Feq=kBTD(p∥peq)(4.4.4)
が成り立ち、温度 T の熱浴に接したまま Hamiltonian を変えて元に戻す操作で、状態 p から取り出せる仕事は kBTD(p∥peq) を超えないと述べる。測定の結果 y を得た後の分布は pX∣y なので、結果 y に合わせて操作を選べば、取り出せる仕事は kBTD(pX∣y∥peq) までである。結果で平均し、命題 4.4.1 を使うと、pX=peq なので
−⟨W⟩≤kBTy∑p(y)D(pX∣y∥peq)=kBTI(X;Y)(4.4.5)
を得る。測定が無ければ I=0 で、式 (4.4.5) は「平衡にある系を1つの熱浴に接したまま操作して元に戻しても仕事は取り出せない」という Kelvin の原理に戻る。測定があると、上限が kBTI(X;Y) だけ上がる。
Szilard エンジンにこれを当てはめる。仕切りを入れた後の分子の位置を、左右の2値 x∈{L,R} に粗くまとめる(左右それぞれの中では分子は一様に分布し、その部分は測定でも操作でも変わらない)。測定に誤りが無ければ p(x∣y) は y の側に確率 1 で、D(pX∣y∥pX)=ln2、I(X;Y)=H(X)=ln2 である。式 (4.4.1) の kBTln2 はこの上限にちょうど達している。
仕切りを入れても自由エネルギーは変わらない
仕切りを入れた直後、分子は左右どちらかに閉じ込められ、もう一方へは移れない。それでも、分子がどちらにいるかを知らない人にとって、分布は箱全体で一様のままで、F[p] は仕切りを入れる前と同じである。仕切りを入れると左右の間の行き来が止まるので、平衡分布がただ1つに決まらなくなるが、左右をまとめた一様分布は止まった運動のもとでも動かない。したがってこの分布を測定の前の平衡分布 peq と見てよい。仕切りは「どちらにいるか」という2値の変数を、測ることができ、かつ熱浴に接していても勝手に変わらない変数にするための装置である。
例題 4.4.1 箱を3つに分ける Szilard エンジン ★★
オリジナル1分子の箱に仕切りを2枚入れて、体積の等しい3つの部屋に分ける。温度は T=300K とする。
- 分子がどの部屋にいるかを誤りなく測り、その部屋の2枚の仕切りをゆっくり両側の壁まで動かす。取り出す仕事と I(X;Y) を求めよ。
- 測定器が「左の部屋にいるかどうか」だけを答える場合(真ん中か右かは区別しない)、I(X;Y) を求めよ。
- (2) の測定で、取り出す仕事を kBTI(X;Y) に一致させる操作を1つ示せ。
解答
(1) 分子は確率 1/3 ずつ3つの部屋にいる。いる部屋の体積は V/3 から V まで等温で広がるので、取り出す仕事は kBTln3 である。300K で kBTln3=1.380649×10−23×300×1.0986=4.55×10−21J になる。誤りの無い測定では p(x∣y) が y の部屋に確率 1 なので、D(pX∣y∥pX)=ln3 がどの y でも同じで、I(X;Y)=H(X)=ln3 である。仕事はちょうど kBTI に等しい。
(2) 結果は「左」(確率 1/3)と「左でない」(確率 2/3)の2つで、結果から x を見分ける分しか情報は無い。I(X;Y)=H(Y)−H(Y∣X) で、Y は X の関数なので H(Y∣X)=0、I(X;Y)=H(Y)=hb(1/3)=0.6365 である。
(3) 「左」なら、左の部屋の仕切りを右の壁まで動かす(真ん中の仕切りは先に取り去る。分子のいない部屋の仕切りを取り去るのに仕事は要らない)。体積は V/3 から V になり、取り出す仕事は kBTln3 である。「左でない」なら、左の部屋と残りを分ける仕切りを左の壁まで動かす(真ん中の仕切りは先に取り去り、分子は右側の 2V/3 の中で一様になる)。体積は 2V/3 から V になり、取り出す仕事は kBTln(3/2) である。平均は
31ln3+32ln23=−31ln31−32ln32=hb(1/3)
で、kBTI(X;Y)=kBT×0.6365(300K で 2.64×10−21J)に一致する。粗い測定からは、測った区別の分だけの仕事しか取り出すことができない。
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