量子力学の様々な構成方法 第1部 第1章 §1.1.3 ★★★ どの構成も得意な問題と苦手な問題を持ち、それが「どの問題をどの構成で解くか」の選び方になる
長所と短所の表
表 1.1.2 は、基準と採る9つについて、長所(その構成で書くと短くなる問題)と短所(書けないか、書くと重くなる問題)を並べたものである。
表 1.1.2 基準と採る9つの構成の長所と短所| 構成 | 長所 | 短所 |
| 状態ベクトル(基準) | 公理が少なく、測定・合成系(テンソル積)・対称性をそのまま書ける。ほかの構成への対応をすべてここから出せる | 混合状態・部分系・無限自由度の相転移を書くには足りない。古典との対応が見えにくい |
| 行列力学 | 交換関係の代数だけでスペクトルが出る(調和振動子・角運動量)。古典の正準方程式と形が同じ | 交換関係を課す演算子の順序が一意に決まらない(x^p^ か p^x^ か)。連続スペクトルや散乱は書きにくい |
| 経路積分 | 作用だけから出発でき、古典極限(停留位相)・対称性・場の理論・虚時間の統計力学に自然につながる | 経路の測度は実時間では数学的に定義されていない。束縛状態のスペクトルを出すには遠回り |
| 密度行列 | 混合状態・部分系・開放系・熱平衡を1つの対象で書ける。量子情報の言語そのもの | 同じ ρ^ を作る純粋状態の組(アンサンブル)が一意でない。純粋状態だけなら ∣ψ⟩ より冗長 |
| 位相空間 | 古典の統計力学と同じ場所(相空間)で書け、ℏ→0 の極限が見やすい。量子光学の状態の分類に向く | W が負になり得るので確率分布ではない。⋆積の計算は2次でない H で重い |
| 第二量子化 | 粒子数の変わる現象・同種粒子の統計・多体の物性を短く書ける | 1粒子の問題には冗長。無限自由度では表現が一意でなくなる(第8部) |
| 軌道と流体 | 量子流体(超流動の渦)や古典極限を流体の言葉で読める。確率過程とつながる | 密度が 0 になる点(節)で速度場が特異になる。多粒子・スピンの扱いが重い |
| 代数的量子論 | 無限自由度の系で、非同値な表現(相転移・自発的対称性の破れ)を区別して書ける唯一の構成 | 具体的なスペクトルや散乱断面積の計算には向かない |
| 公理からの再構成 | 「なぜ複素ヒルベルト空間か」「なぜ Born の規則か」に答える。古典確率論と同じ枠で比べられる | 動力学の計算道具ではない。公理の選び方に任意性が残る |
| 幾何学的量子化 | 正準量子化の曖昧さ(どの関数をどう演算子にするか)を幾何で整理し、スピンの量子化を説明する | 微分形式・線束の準備が要る。偏極の取り方で答えが変わる場合がある |
長所と短所はどこから来るか
表の長所と短所は、それぞれの構成が何を出発点に置いたかで説明できる。
行列力学は交換関係を出発点に置くので、交換関係だけで閉じる問題(調和振動子の [a^,a^†]=1、角運動量の [J^x,J^y]=iℏJ^z)は代数だけで解ける。その一方で、古典の関数 xp を演算子にするとき x^p^ と p^x^ のどちらにするかは交換関係からは決まらず、この曖昧さは第2部第2章で扱い、第10部第1章でGroenewold–van Hove の定理として「Poisson 括弧から交換子への置き換えは全部の多項式には課せない」という形に整理する。
経路積分は作用 S を出発点に置くので、作用に現れる対称性と古典極限がそのまま見える。ℏ に比べて作用が大きいとき、eiS/ℏ の和は作用が停留する経路の近くだけが残り、古典軌道が出てくる(第3部第4章)。その代わり、無限個の積分変数にわたる「経路の測度」は実時間では定義できず、計算は時間を細かく分けた有限次元の積分の極限として行う。
密度行列は「期待値を与える線形の汎関数」を出発点に置くので、混合状態も部分系も同じ形で書ける。その代わり、同じ ρ^ が別々の純粋状態の組から作られることがあり、ρ^ だけからはどの組で作ったかが分からない(第4部第3章)。
位相空間は x と p の両方の関数で量子状態を書くので、古典の統計力学と同じ形になる。不確定性関係があるため、x と p の同時分布が非負の確率分布になることはなく、その結果として W は負の値を取り得る(第5部第4章)。
残りの構成も同じように読める。どの構成にも短所があり、ある構成で重くなる問題は別の構成で軽くなる。第11部第2章では、これを「どの問題をどの構成で解くか」の早見表にする。
共通例題①を密度行列の言葉で解く
長所の1つの例として、共通例題①の熱平衡を見ておく。熱平衡の状態は ρ^=e−βH^/Z という1つの密度行列で書け、分配関数 Z=Tre−βH^ はエネルギー固有状態の基底でトレースをとれば求まる。状態ベクトルの構成だけでは、温度 T の振動子を1つのベクトルで書くことができない。
例題 1.1.3 超伝導回路の共振器は熱的に空か ★★
オリジナル共通例題①の調和振動子が温度 T の熱平衡にある。ρ^=e−βH^/Z とし、En=ℏω(n+21) は第2部第4章の結果を借りる。
- (1) Z=Tre−βH^ を求め、Z=1/(2sinh(βℏω/2)) を示せ。
- (2) ⟨n⟩=Tr(ρ^a^†a^) が 1/(eβℏω−1) であることを示せ。
- (3) 周波数 ω/2π=5GHz の共振器について、T=20mK と T=300K での ⟨n⟩ を求めよ。ℏ=1.0546×10−34Js、kB=1.3806×10−23JK−1 とする。
解答
(1) エネルギー固有状態 ∣n⟩ の基底でトレースをとると、x=βℏω として等比級数になり
Z=n=0∑∞e−x(n+21)=1−e−xe−x/2=ex/2−e−x/21=2sinh(x/2)1.
(2) a^†a^∣n⟩=n∣n⟩ なので ⟨n⟩=Z1∑nne−x(n+21)=−∂x∂lnZ−21。lnZ=−2x−ln(1−e−x) を微分すると
⟨n⟩=21+1−e−xe−x−21=ex−11.
(3) ℏω=1.0546×10−34×2π×5×109≈3.313×10−24J。T=20mK では kBT≈2.761×10−25J、x≈12.0 で ⟨n⟩≈e−12.0≈6.2×10−6。共振器はほぼ基底状態にある。T=300K では x≈8.00×10−4 で、⟨n⟩≈1/x−21≈1250。このとき平均のエネルギー (⟨n⟩+21)ℏω は kBT にほぼ等しく、古典統計の等分配則に戻る。超伝導量子回路は、この ⟨n⟩ を十分小さくするために、希釈冷凍機で 20mK 程度まで冷やす。
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