量子力学の様々な構成方法 第2部 第4章 §2.4.1 ★★★ 梯子の補題とノルムの正値性。この章のすべての計算はこの2つの組み合わせで、波動関数を一度も書かない
行列力学の部の型(出発点の要請 → 基本の対象 → 基準との同値 → 共通例題 → 得意な問題 → 限界)の中で、この章は「共通例題」と「得意な問題」を受け持つ。前の3章で、行列力学の出発点は次のように整った。物理量は演算子(Heisenberg の表)で、正準変数は交換関係 [x^,p^]=iℏ を満たし(第2部第1章・第2部第2章)、時間発展は A^˙=[A^,H^]/(iℏ) で与えられる(第2部第3章)。この章では時間発展をいったん脇に置き、エネルギーの固有値、すなわちスペクトルを、波動関数も微分方程式も使わずに求める。
道具は2つしかない。1つは交換関係で、これがエネルギーを一定の幅だけ上げ下げする演算子(梯子の演算子)を与える。もう1つは、状態空間の内積が正定値であること、つまり ∥A^∣ψ⟩∥2=⟨ψ∣A^†A^∣ψ⟩≥0 である。梯子を下りていくとどこかで止まらなければならず、止まる位置がこの不等式で決まる。この2つを組み合わせる論法を 2.4.1 節で一般の形にし、2.4.2 節で共通例題①の調和振動子、2.4.3 節で角運動量(共通例題②の2準位系の準位を含む)、2.4.4 節で水素原子に当てる。
共通例題①は第2部第1章でも解いた。そこでは Heisenberg が1925年に実際にとった道、すなわち運動方程式から出る選択則と、作用の量子化条件を読み替えた総和則を使った。この章では同じ答えを、生成消滅演算子 a^, a^† の代数から出す。2つの解き方は使う式が違うが、どちらも「下に有界であること」と「ℏ の大きさを決める1本の式」を使う点で同じ骨組みを持つ。その対応は 2.4.2 節の終わりで表にする。この章の結果のうち、調和振動子のスペクトルと角運動量の表現は、この巻のほかの部が何度も借りる(第4部・第5部・第6部・第10部)。
梯子の補題
補題 2.4.1(梯子の補題)
演算子 H^ と B^ が、ある実数 ϵ について
[H^,B^]=−ϵB^(2.4.1)
を満たすとする。H^∣E⟩=E∣E⟩ なら、B^∣E⟩ は 0 であるか、固有値 E−ϵ の固有ベクトルである。
証明
(2.4.1) を H^B^=B^H^−ϵB^ と書き直して ∣E⟩ に当てると、H^(B^∣E⟩)=B^E∣E⟩−ϵB^∣E⟩=(E−ϵ)(B^∣E⟩) となる。
両辺のエルミート共役をとると [H^,B^†]=+ϵB^†(H^ がエルミートのとき)なので、B^† は固有値を ϵ だけ上げる。ϵ>0 なら B^ を下りの演算子、B^† を上りの演算子と呼ぶ。1つの固有ベクトルが見つかれば、梯子を上り下りしてE,E±ϵ,E±2ϵ,… の固有値が次々に得られる。補題が言うのは「固有値の候補が等間隔に並ぶ」ことだけで、どこで止まるかは言わない。止まる位置を決めるのが次の性質である。
ノルムの正値性
命題 2.4.2(正値性による下限)
H^=B^†B^+c(c は実数)と書けるなら、H^ の固有値はすべて c 以上で、等号は B^∣E⟩=0 のときに限る。
証明
規格化した固有ベクトル ∣E⟩ についてE−c=⟨E∣B^†B^∣E⟩=∥B^∣E⟩∥2≥0。等号はノルムが 0、すなわち B^∣E⟩=0 のときに限る。
梯子の補題と正値性を組み合わせると、次の筋が立つ。下りの演算子を繰り返し当てると固有値はいくらでも下がるはずだが、正値性で下限がある。したがって下りの列はどこかで 0 に当たって止まらなければならず、止まった所の状態は B^∣E0⟩=0 を満たす。この条件を H^=B^†B^+c に入れれば、最低の固有値が E0=c と決まる。あとは上りの演算子で E0+ϵ,E0+2ϵ,… が得られる。波動関数を使う解き方では、無限遠で解が発散しないという境界条件を課したときに固有値が離散的になった。代数の解き方では、ノルムが負にならないという条件がこの境界条件の代わりになる。
定義域についての注意
調和振動子や水素の演算子は非有界なので、厳密には「B^ が固有ベクトルを定義域の中へ移す」ことを確かめる必要がある(非有界作用素の定義域と自己共役性は近似の数理 第3章)。この章で扱う例ではいずれも、固有ベクトルの全体が張る稠密な部分空間を B^, B^† が保つので、上の筋はそのまま成り立つ。この前提が崩れる例は 2.4.4 節の終わりで触れる。
いちばん小さい例:反交換関係の2状態
梯子が2段で終わる例を先に見ておく。演算子 c^ が
{c^,c^†}+=1,c^2=0(2.4.2)
を満たすとする。これはフェルミ粒子の1モードの代数で、第6部第3章で多数のモードへ広げる(第6部第3章)。N^=c^†c^ と置くと、N^2=c^†(c^c^†)c^=c^†(1−c^†c^)c^=N^−(c^†)2c^2=N^ である。固有値 ν は ν2=ν を満たすので ν∈{0,1} しかない。交換関係だけで「1つのモードに粒子は高々1個」という Pauli の排他律が出る。梯子の補題で言えば、[N^,c^]=−c^ なので c^ は N^ を1下げるが、c^2=0 のため梯子は2段で終わる。
例題 2.4.1 反交換関係から2準位を作る ★★
オリジナルc^ が (2.4.2) を満たすとき、H^=εc^†c^(ε>0)を考える。
- (1) [N^,c^]=−c^ を示せ。
- (2) 固有値 0 の状態 ∣0⟩ があるとき、∣1⟩=c^†∣0⟩ のノルムを求め、c^†∣1⟩=0 を示せ。
- (3) {∣1⟩,∣0⟩} の基底で c^ と c^† を 2×2 行列で書き、Pauli 行列で表せ。温度 T の熱平衡で ⟨N^⟩ を求めよ。
解答
(1) [c^†c^,c^]=c^†c^c^−c^c^†c^=0−(1−c^†c^)c^=−c^(c^2=0 を使った)。
(2) ∥∣1⟩∥2=⟨0∣c^c^†∣0⟩=⟨0∣1−N^∣0⟩=1。また c^†∣1⟩=(c^†)2∣0⟩=0((c^†)2=(c^2)†=0)。上りの梯子は1段で止まる。
(3) c^∣1⟩=c^c^†∣0⟩=(1−N^)∣0⟩=∣0⟩、c^∣0⟩=0 なので、∣1⟩=(1,0)T、∣0⟩=(0,1)T と並べると
c^=(0100)=σ−,c^†=(0010)=σ+,σ±=2σx±iσy
である。N^=diag(1,0)=(1+σz)/2 だから、2準位系の励起の有無と同じ形になる。熱平衡では⟨N^⟩=e−βε/(1+e−βε)=1/(eβε+1) で、化学ポテンシャル 0 の Fermi 分布である。
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