量子力学の様々な構成方法 第2部 第1章 §2.1.1 ★★★ 古典の周期運動が出す光は1つの振動数の整数倍に並ぶが、原子の光は準位の差 ωnm に並ぶ。両者は準位の番号が大きい所でだけ一致する
第2部では、量子力学を「物理量の演算子と、その交換関係」から組み立てる構成(行列力学・正準量子化)を扱う。この部も、ほかの部と同じく「出発点の要請 → 基本の対象 → 基準との同値 → 共通例題 → 得意な問題 → 限界」の順で進む。この章はその最初の段、すなわち何を公理に置くかを受け持つ。第1部で基準に置いた状態ベクトルと演算子の公理(第1部第2章)は、まだここでは使わない。1925年の W. Heisenberg は状態ベクトルを知らなかった。Heisenberg の手元には、古典力学と、原子が出す光の振動数と強さの測定値と、Bohr の古い量子論だけがあった。そこからどうやって行列と交換関係にたどり着いたかを、導出の途中を省かずにたどる。
Heisenberg の論文1W. Heisenberg (1925), Z. Phys. 33, 879–893.の出発点は、原理的に観測できる量のあいだの関係だけで理論を作る、という方針であった。原子の中の電子の軌道(半径や周期)は観測にかからない。観測にかかる量は、原子が出す光の振動数とその強さである。この章では、この方針を次の4つの要請に分けて書き下す。第一に、物理量は2つの状態の添字を持つ数の表で表す(2.1.2節)。第二に、表どうしの積は、光の振動数が満たす Ritz の結合則から行列の積に決まる(同じ節)。第三に、古典の運動方程式は、そのまま表の方程式として要請する(2.1.3節)。第四に、古い量子論の量子化条件は軌道を使うので書き直し、Born と Jordan の手で xp−px=iℏ という形にまとまる(2.1.4節)。この4つだけで調和振動子のスペクトル En=ℏω(n+21)(共通例題①)が出ることを2.1.5節で確かめ、2.1.6節で、ここで作った「遷移の表」が基準の言葉では何に当たるかを式で並べる。
古典の周期運動が出す光
1次元の周期運動を考える。解析力学の作用角変数(解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第1部第14章)を使うと、作用 J=2π1∮pdx はエネルギー E=H(J) だけで決まる保存量で、角変数 θ は一定の速さω(J)=dJdH で増える。位置 x は θ について周期 2π の関数なので、Fourier 級数に展開できる。
x(t)=α=−∞∑∞Xα(J)eiαω(J)t,X−α=Xα∗.(2.1.1)
ここで角変数の初期値は Xα の位相に含めた。X−α=Xα∗ は x(t) が実数であることの言い換えである。
この運動をする粒子が電荷 e を持っていると、加速度に比例した電磁波を出す。Larmor の公式によると、放射の仕事率は e2∣x¨∣2/(6πε0c3) である。α 番目の高調波 Xαeiαωt+X−αe−iαωt=2∣Xα∣cos(αωt+φα)の加速度の振幅は 2∣Xα∣(αω)2 で、2乗の時間平均はその半分なので、この高調波が出す仕事率の時間平均は
Pα=6πε0c3e2⋅2(2∣Xα∣(αω)2)2=3πε0c3e2(αω)4∣Xα∣2(α=1,2,…)(2.1.2)
になる。古典論が予言するスペクトルは、したがって次の形をしている。光の振動数は1つの基本振動数 ω(J) の整数倍ω,2ω,3ω,… に等間隔に並び、α 番目の線の強さは Fourier 係数の大きさ ∣Xα∣2 で決まる。さらに電子は放射でエネルギーを失うので J が連続的に減り、線の振動数も連続的にずれていく。
原子の光が従う規則
実際の原子の線スペクトルは、この予言と合わない。線は等間隔に並ばず、しかも鋭い。分光学の経験則として W. Ritz が1908年に定式化した結合則2W. Ritz (1908), Astrophys. J. 28, 237–243.によると、原子ごとに「項」と呼ぶ数の列 T1,T2,… があり、観測される線の振動数はすべて2つの項の差 Tn−Tm の形に書ける。N. Bohr は1913年の模型で、項を En/ℏ(En は定常状態のエネルギー)と解釈し、
ωnm=ℏEn−Em(2.1.3)
を、状態 n から状態 m へ移るときに出る光の角振動数とした(振動数条件)。この定義から、すぐに
ωnk+ωkm=ωnm,ωmn=−ωnm,ωnn=0(2.1.4)
が従う。式 (2.1.4) の第1式が Ritz の結合則で、線 n→k と線 k→m の振動数を足すと線 n→m の振動数になる。
古典の高調波も αω+βω=(α+β)ω という足し算の規則を満たす。両者の違いは添字の数にある。古典の線は「軌道 J と、高調波の番号 α」で番号づけされ、1本の軌道から全部の線が出る。量子の線は「始めの状態 n と、終わりの状態 m」という2つの状態で番号づけされ、どちらの状態も1本の軌道に対応しない。
対応原理:番号の大きい所で両者は一致する
Bohr は、準位の番号 n が大きい所では量子の線が古典の高調波に近づくはずだと考えた(対応原理)。古い量子論の量子化条件 J=nℏ を使うと En=H(nℏ) なので、n≫α では
ωn,n−α=ℏH(nℏ)−H((n−α)ℏ)≈αdJdHJ=nℏ=αω(nℏ)(2.1.5)
となる。差の商が微分に近づくので、遷移 n→n−α の振動数は、状態 n に対応する古典軌道の第 α 高調波の振動数に近づく。
数値で確かめる。水素原子の Bohr のエネルギーは En=−ER/n2(ER は Rydberg エネルギー)で、古典の Kepler 運動の角振動数は ω(J)=dJdH に H=−ERℏ2/J2 を入れて ω=2ER/(ℏn3) である。比をとると
αω(nℏ)ωn,n−α=2αn3((n−α)21−n21)=1+2n3α+O(n−2)(2.1.6)
になる。ER は比から消えるので、この比は実験値を使わずに計算できる。図 2.1.1 に α=1,2 の場合を示す。可視の Balmer 系列や紫外の Lyman 系列の線は n=2,3 あたりの遷移で、比は 2〜3 にもなる。古典の軌道の高調波という見方は、観測される線のほとんどで数値が合わない。

図 2.1.1 水素原子の遷移 n→n−α の角振動数と、古典の Kepler 軌道の第 α 高調波の角振動数の比(式 (2.1.6))。点線は厳密な比、実線は1次の近似 1+3α/(2n)。比は n→∞ で1に近づく(破線)。
強さの側も同じ形に書ける
線の強さについても同じ対応がある。量子論では、遷移 n→m で出る光の仕事率を、遷移ごとに決まる複素数 xnm を使って
ℏωnmAnm=3πε0c3e2ωnm4∣xnm∣2(2.1.7)
と書く。ここで Anm は自然放出の速さ(Einstein の A 係数。光学と量子エレクトロニクス 第20章)で、xnm は現在の言葉では位置の行列要素 ⟨n∣x^∣m⟩ である。式 (2.1.7) と式 (2.1.2) は、αω↔ωnm、Xα↔xnm と読み替えると同じ式になる。Heisenberg はこの対応を逆にたどり、古典の Fourier 係数 Xα(J) の代わりに、遷移の振幅 xnm そのものを理論の基本の量に選んだ。軌道 x(t) を1本の関数として持つことはあきらめ、観測にかかる ωnm と xnm だけを使う。これが次の節の読み替えである。
例題 2.1.1 水素原子で対応原理を数値で確かめる ★★
オリジナル水素原子のエネルギーを En=−ER/n2 とする。
- (1) 遷移 n→n−α の角振動数と、J=nℏ の古典軌道の第 α 高調波の角振動数の比が式 (2.1.6) になることを示し、1/n の1次まで展開せよ。
- (2) n=10,100、α=1,2 の4通りについて比の値を小数第4位まで求めよ。
- (3) Lyman 系列の最初の線(n=2→1)で比はいくらか。この線を古典の高調波として理解できるか。
解答
(1) ωn,n−α=ℏER((n−α)21−n21)。古典の側は H(J)=−ERℏ2/J2 からω(J)=dJdH=2ERℏ2/J3 で、J=nℏ を入れると ω=2ER/(ℏn3)。比は
2αn3((n−α)21−n21)=2αn((1−α/n)21−1)=2αn(n2α+n23α2+O(n−3))=1+2n3α+O(n−2).
2行目で (1−u)−2=1+2u+3u2+⋯ を u=α/n で使った。
(2) 厳密な式に代入すると、n=10 で α=1 が 1.1728、α=2 が 1.4062、n=100 で α=1 が 1.0152、α=2 が 1.0308 である。1次の近似 1+3α/(2n) はそれぞれ 1.15、1.3、1.015、1.03 で、n=100 ではよく合う。
(3) n=2、α=1 では比は 28(1−41)=3。Lyman の最初の線の振動数は、n=2 の Kepler 軌道の回転の振動数の3倍で、基本振動数とも高調波の位置とも合わない。番号の小さい遷移では、線の振動数を1本の軌道の運動から読むことはできない。
近似の裏付け
型 B(極限) | 小さいもの 1/n→0(作用 J=nℏ が ℏ に比べて大きい) | 証明 要確認(1自由度で、準位が作用の滑らかな関数 H(J) に量子化条件を入れたもので与えられるとき、差の商が微分に近づく。水素と箱では厳密な式で確かめたが、一般の前提は原論文で確かめていない) | 行き先 近似の数理 第7章
1 W. Heisenberg (1925), Z. Phys. 33, 879–893.
2 W. Ritz (1908), Astrophys. J. 28, 237–243.
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com