光学と量子エレクトロニクス 第35章 §35.3 ★★★ 巻の近似のほとんどは B 型で、その小さいパラメータは ω0≫Γ≫ωrec という周波数の階段から出る
87Rb の D2 線で並べる
この巻の近似の札の多くは B 型(極限)で、それぞれに小さいパラメータがあった。どれだけ小さいかは物質と光で決まる。ここでは第24〜26章で使った 87Rb の D2 線(波長 λ=780.241nm、自然幅 Γ/2π=6.0666MHz、質量 m=1.443×10−25kg)を1つ選び1D. A. Steck, Rubidium 87 D Line Data(steck.us/alkalidata に公開されている数値の表)。第24〜26章と同じ値。、巻に出てきた小さいパラメータを同じ原子について計算して並べる(例題 35.4)。光の強さは飽和強度 Isat=πhcΓ/(3λ3)≈1.67mWcm−2(第19章)にそろえ、ビームの太さは 1mm とした。結果が図 35.2 である。

図 35.2 87Rb の D2 線で計算した、巻の近似の小さいパラメータ(強度は Isat、ビームの太さ w=1mm)。下の6本は 10−3 より小さく、上の2本は小さくない。
図の下の6本が小さいのは、どれも周波数か長さの大きな比だからである。原子の遷移の周波数 ω0≈2.4×1015s−1 に比べて、自然幅 Γ≈3.8×107s−1 は 10−8 の桁、光の吸収と放出の反跳の周波数 ωrec=ℏk2/(2m)≈2π×3.77kHz は自然幅のさらに 6×10−4 倍である。この周波数の階段
ω0≫Γ, Ω≫ωrec
の2段のどちらを使うかで、巻の近似は分けられる。1段目の比 ω0≫Γ,Ω を使って正当化したのが回転波近似(第18章)と Markov 近似(第19章)で、2段目の比 Γ≫ωrec を使って正当化したのが、原子の内部の状態を速い変数として断熱消去し、重心を古典粒子として動かす半古典の力(第25章)とレーザー冷却(第26章)である。長さの側では、原子の大きさ a0 と波長の比 ka0 を使って双極子近似を、波長とビームの太さの比 1/(kw) を使って近軸近似と幾何光学を正当化した。第V巻の言葉では、どれも「時間か長さの尺度が離れていることを使って、速い(細かい)変数を平均するか消去する」B 型の近似で、平均化の定理か特異摂動の定理が後ろ盾になる(近似の数理 第7章)。
階段が途切れる所
図の上の2本は小さくない。1つは 1064nm の光の罠での ∣Δ∣/(ω0+ωL)≈0.15 で、離調が光の周波数と同じ桁なので、回転波近似で捨てる反共鳴の項が 15% の誤差になる(第1章の総合問題)。回転波近似の小さいパラメータは Ω/ω0 だけでなく ∣Δ∣/ω0 も含んでいて、遠く離調した光の罠では後者が小さくない。もう1つは自然放出だけで緩和する原子の T2/T1=2 である。レート方程式は T2/T1→0 か ΩT2→0 の極限で正当化されるが(第21章)、冷えた原子は衝突による位相の乱れがほとんど無いので T2=2T1 になり、使える条件は弱い光(ΩT2≪1)の側だけになる。強い光で Rabi 振動を見る実験では、レート方程式でなく光 Bloch 方程式に戻る必要がある(第19章)。
ほかに図に入れなかった破れ方が2つある。高次高調波を出すほど強い光(γK≲1)では、電場のべき展開そのものが成り立たず、3ステップモデルに切り替えた(第17章)。共振器の中の数個の光子と原子では、場を古典の振幅に置く半古典論の小さいパラメータ 1/nˉph が小さくなく、場を量子化した Jaynes–Cummings 模型が要る(第19章・第34章)。どちらも、図の階段のどこかの比が 1 に近づいた所で、巻の中で次の部へ進む理由になった。
例題 35.4 Rb の D2 線で周波数の階段を計算する ★★
オリジナル87Rb の D2 線の値(本文)を使う。Bohr 半径は a0=5.292×10−11m、原子の中の電場は Eat=e/(4πε0a02) とする。
- (1) ω0、Γ/ω0、ka0、ωrec/Γ を求めよ。
- (2) 飽和強度 Isat の光の電場の振幅 E と E/Eat を求めよ。I=Isat では Ω=Γ/2 である。Ω/ω0 を求めよ。
- (3) Doppler 限界 TD=ℏΓ/(2kB) と反跳温度 Trec=ℏ2k2/(mkB) を求め、比 TD/Trec が Γ/ωrec の何倍かを述べよ。
解答
(1) ω0=2πc/λ≈2.414×1015s−1、Γ=2π×6.0666×106≈3.812×107s−1 で Γ/ω0≈1.58×10−8。k=2π/λ≈8.053×106m−1 で ka0≈4.26×10−4。ωrec=ℏk2/(2m)≈2.369×104s−1(2π×3.77kHz)で ωrec/Γ≈6.2×10−4。
(2) Isat≈16.7Wm−2 から E=2Isat/(cε0)≈112Vm−1。Eat≈5.14×1011Vm−1 なので E/Eat≈2.2×10−10。Ω=Γ/2≈2.70×107s−1 で Ω/ω0≈1.1×10−8。原子を飽和させる強さの光でも、原子の中の電場の 10−10 倍しかない。2準位原子が光に対して非線形に振る舞うのは電場が強いからではなく、共鳴で応答が ω0/Γ∼108 倍に増えるからである。
(3) TD=1.0546×10−34×3.812×107/(2×1.381×10−23)≈146μK、Trec=ℏ2k2/(mkB)=2ℏωrec/kB≈0.362μK。比は
TrecTD=2ℏωrecℏΓ/2=41⋅ωrecΓ≈402
で、Γ/ωrec の 1/4 である。Doppler 冷却で到達できる温度と反跳の温度の差は、階段の2段目の比そのもので決まる。偏光勾配冷却(第26章)は、自然幅でなく基底状態の副準位の光ポンピングの速さを使うことで、この比の制約を外した。
1 D. A. Steck, Rubidium 87 D Line Data(steck.us/alkalidata に公開されている数値の表)。第24〜26章と同じ値。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com