相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第4部 第7章 §4.7.7 ★★★ 消去の下限は消去の前と後の分布の D、取り出せる仕事の上限は測定の直後の結合分布と積分布の D(相互情報量)。どちらも実験で数 % から十数 % の精度で確かめられた
この章では、第4部で導いた不等式と等式を、3つの系の実験で読んだ。比べる2つの分布は2組あった。消去の実験では、消去の前の記憶の分布 (1/2,1/2) と後の分布 (Ps,1−Ps) で、その D=ln2−hb(Ps) が仕事と散逸の熱の下限になる。記憶を2状態として扱ってよいことは、D の連鎖則で、井戸の中が局所平衡なら連続の D が2状態の D に等しいことから分かる。フィードバックの実験では、測定の直後の系と結果の結合分布と積分布で、その D が相互情報量 I(X;M) になり、取り出せる仕事の上限になる。
当てた D の性質は非負性と、2状態の主方程式での Σ˙≥0 である。有限の時間 τ の消去には B/τ の余りが必ず付き、B は傾け方で決まる。一定の速さで傾けると B は傾けの大きさに比例して増えるが、平衡分布の Fisher 情報で測った長さが一定の速さで進むように傾けると、B は π2/(4ν) を超えない。
出てきたものは3つの実験の数値である。コロイド粒子の消去では、散逸の熱を A+B/τ に当てはめて A=0.72kBT(Bérut ら)、帰還トラップで 0.71±0.03kBT と、消去しない対照で 0.05±0.03kBT(Jun ら)を得た。単電子箱の Szilard エンジンでは、理想の 0.94kBTln2 に対して正しく動いた周で 0.9kBTln2 を取り出し、誤り率を変えて一般化 Jarzynski 等式 ⟨e−βW−I⟩=1 を確かめた(Koski ら)。理想化した模型では、誤り率に合わせて ΔE を選ぶと、取り出す仕事が kBTI(X;M) にちょうど届く。回転するコロイド粒子では、情報 0.22 nat のうち 28% を自由エネルギーに変え、γ の形の等式を確かめた(Toyabe ら)。
ここまでの実験はすべて古典の系である。測定される系も記憶も量子力学的なとき、相互情報量と D は第3部の量子版に置きかわり、測定が状態を乱すことがコストに加わる。それが次の 第4部第8章 の主題である。
要点
- 連鎖則:D(p∥π)=D(井戸の重み)+∑ipiD(井戸の中)。局所平衡なら記憶は2状態。
- 成功率 Ps の消去:⟨W⟩=⟨−Q⟩≥kBT[ln2−hb(Ps)]。
- 2状態:p˙1=−ν(p1−π1)、Σ˙=ν(π1−p1)lnπ0p1π1(1−p1)≥0。余り B/τ、νBlin≈βEm/2、νBopt<π2/4。
- 正規分布の仕事:⟨W⟩−ΔF=βσW2/2。
- 単電子箱 En=EC(n−ng)2。−Wok=kBTln1+e−βΔE2、誤ると ΔE を捨てる。最適 βΔE=lnε1−ε で −β⟨W⟩=ln2−hb(ε)。
- 一般化 Jarzynski:⟨e−β(W−ΔF)−I⟩=1、⟨eβ(ΔF−W)⟩=γ。
総合問題 誤りのある Szilard エンジンと記憶の消去の帳尻 ★★★
オリジナル理想化した単電子箱のエンジン(命題 4.7.3 の仮定)を、誤り率 ε=0.1 の測定で動かす。測定結果 m は1ビットの記憶(2状態の系)に書き込まれる。1周を閉じるには、次の周の前にこの記憶を消去して 0 に戻す必要がある。
- (1) 相互情報量 I(X;M) と、記憶の条件付きエントロピー H(M∣X) を求めよ。(使う道具:4.7.4 節、第1部第3章 の相互情報量)
- (2) 取り出す仕事を最大にする βΔE と、そのときの −β⟨W⟩ を求めよ。(使う道具:4.7.4 節、第4部第4章)
- (3) (2) の ΔE のときの γ を求め、⟨e−βW⟩=γ と −β⟨W⟩≤lnγ を確かめよ。(使う道具:4.7.5 節)
- (4) 記憶 M の分布は (1/2,1/2) である。これを 4.7.2 節の4段の手順で、βEm=10、ντ=50、一定の速さで消去すると、仕事は β⟨W⟩=0.793(主方程式の数値解)になる。1周(エンジン+消去)の正味の仕事が kBTH(M∣X) 以上であることを確かめ、残りの差が何によるかを述べよ。(使う道具:4.7.1 節・4.7.2 節、第4部第5章)
- (5) 消去をコロイド粒子で行い、余りが Bérut らの B=8.15kBTs の B/τ だとする。消去の余りを kBTH(M∣X) 以下にするには、消去時間を何秒以上にすればよいか。(使う道具:4.7.3 節)
解答
(1) 縮退点で P(n)=1/2、2値対称通信路なので I(X;M)=ln2−hb(0.1)=0.693−0.325=0.368 nat である。H(M)=ln2 で、H(M∣X)=H(M)−I(X;M)=hb(0.1)=0.325 nat である。記憶には系の状態と相関した分 0.368 と、測定の雑音による分 0.325 が書き込まれている。
(2) 命題 4.7.3 (b) から βΔE=ln0.10.9=ln9=2.20 で、−β⟨W⟩=I(X;M)=0.368 である。確かめると x=1/9、ln1+1/92=ln1.8=0.588、εlnx=−0.1×2.197=−0.220 で、和は 0.368 である。
(3) 式 (4.7.16) に x=1/9 を入れると γ=10/92(0.9+0.1/9)=1.8×0.911=1.64 で、lnγ=0.495 である。⟨e−βW⟩=0.9×1+x2+0.1×1+x2x=0.9×1.8+0.1×0.2=1.64 で γ に一致する。0.368≤0.495 で −β⟨W⟩≤lnγ も成り立つ。最適な ΔE で等号になるのは I の形のほうで、γ の形の上限には届かない。
(4) 1周の正味の仕事は、消去でされる仕事からエンジンで取り出した仕事を引いて β⟨W正味⟩=0.793−0.368=0.424 で、H(M∣X)=0.325 以上である。この下限は、消去の下限 kBTH(M)=kBTln2(4.7.1 節の Ps=1)と取り出しの上限 kBTI(X;M) の差 kBT[H(M)−I(X;M)] である。誤りの無い測定(ε=0)なら下限は0で、エンジンと消去を合わせて熱力学の第二法則の等号 ⟨W⟩≥0 に戻る。測定に雑音があると、記憶には系と関係のない分 H(M∣X) が書き込まれ、それを消す代価は回収できない。残りの差 0.424−0.325=0.099 は、有限の時間の消去の余り Blin/τ=5.00/50=0.100 から、消去が完全でない分(ゆっくりした極限が ln2 より 0.0005 小さい分)を引いたものである。エンジンの側は準静的と仮定したので余りを持たない。
(5) 8.15/τ≤0.325 から τ≥25.1s である。Bérut らの最長の 40s ならこの条件を満たすが、そのときも消去の余り 0.20kBT は H(M∣X) と同じ程度の大きさで、実験の装置では、雑音による損と有限の時間による損が同じ程度に並ぶことになる。
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