相対エントロピーから情報と物理を組み立てる 第7部 第1章 §7.1.7 ★★★ Bekenstein 上限は D の非負性、一般化第二法則は D の単調性。ブラックホールの熱力学は、真空を熱浴とみた相対エントロピーの2つの性質に帰着する
この章で比べた2つの状態は、地平面の外(あるいは任意の領域 V)に制限した今の状態 ρ^V と、同じ領域に制限した真空 σ^V だった。真空を領域に制限すると、境界からの距離 x に応じた温度 ℏc/(2πkBx) の熱状態になり、そのモジュラー Hamiltonian K^V は境界からの距離で重みを付けたエネルギーになる(Bisognano–Wichmann)。このため相対エントロピーは D(ρ^V∥σ^V)=ΔK−ΔS と、エネルギーとエントロピーの差に分かれる。個々の項は境界の近くで発散するが、D は有限である。
非負性 D≥0 は ΔS≤ΔK で、物体の大きさ R とエネルギー E で上から押さえると Bekenstein 上限 S≤2πkBER/(ℏc) になる(Casini)。重力を使わずに出るが、重力の側から読むと一般化第二法則が破れないための条件である。単調性(データ処理不等式)は、地平面の切り口を未来へ動かすと外の領域が狭まることと組み合わさってD が減ることを言い、Raychaudhuri の方程式で ΔK の減りを面積の増えに書き換えると、一般化エントロピー Sgen=SBH+S外 が減らないという一般化第二法則になる(Wall)。蒸発するブラックホールでは面積は減るが、放射のエントロピーがそれ以上に増える。
SBH が何を数えているかについては、地平面をまたぐ場のもつれが面積に比例するエントロピーを持つこと(Srednicki の数値で係数 0.295)、その係数は切断に依存し、重力定数のくりこみと組になって Sgen 全体が有限になること、超弦理論の極限ブラックホールでは状態の数として数えられたことを見た。極限ブラックホールで Nernst の形の第三法則が破れることは、基底状態の縮退として情報の側から読める。
この章では、放射のエントロピーが最後まで増え続けた(図 7.1.3)。全体が純粋状態から始まってユニタリに時間発展するなら、ブラックホールが消えた後の放射も純粋状態でなければならず、そのエントロピーは 0 に戻るはずである。Hawking 放射が地平面の内側とのもつれでできていること(第7部第2章)、放射のエントロピーは途中で折り返すべきこと(第7部第3章の Page 曲線)、その折り返しが一般化エントロピーの極値として半古典的に出ること(第7部第7章の島の公式、式 (7.7.10))へ、話は続く。
この章の道具
- 比べる2つの状態:ρ^V(今の状態を領域に制限)と σ^V(真空を領域に制限)。σ^V=e−K^V/Tre−K^V。
- 恒等式:D(ρ^V∥σ^V)=ΔK−ΔS(温度 1 の Gibbs の変分原理)。
- 非負性 → ΔS≤ΔK≤2πER/(ℏc)(Bekenstein 上限)。1次では δS=δK(第一法則)。
- 単調性 → 地平面に沿って D が減る → Raychaudhuri で dSgen/dλ≥0(一般化第二法則)。
- もつれのエントロピー ≈0.295(R/a)2(スカラー場1種類)・CBH=−2SBH・箱の中で安定 ⇔Er<Mc2/4。
総合問題 太陽質量のブラックホールに光子の箱を落とす ★★★
オリジナル太陽質量 M⊙ の Schwarzschild ブラックホールがある。そこへ、半径 R=0.1m の球形の箱に閉じ込めた温度 T=300K の光子気体を落とす(箱の壁の質量とエントロピーは無視する)。ar=4σSB/c=7.566×10−16Jm−3K−4 とする。
- (1) ブラックホールの TH と SBH/kB を求めよ。光子気体のエネルギー E と S/kB を求めよ。(使う道具:解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第2部第19章・第5部第12章、7.1.3 節)
- (2) 箱を遠方から自由に落とすときの ΔSBH/kB を求め、一般化第二法則を確かめよ。(使う道具:7.1.1 節・第2部第19章の第一法則)
- (3) 箱を地平面の近くまで下ろしてから放すときの最小の ΔSBH/kB を求め、Bekenstein 上限と比べよ。Casini の形で、D=ΔK−ΔS の大きさを見積もれ。(使う道具:7.1.1 節・7.1.2 節・7.1.3 節)
- (4) 箱の温度を下げていくと、黒体放射の式の上では上限 (7.1.3) が破れる。破れ始める温度 T∗ を求め、そのとき上限が実際には破れない理由を述べよ。(使う道具:7.1.3 節・第2部第1章の最大エントロピー原理)
- (5) 落とした後、ブラックホールが同じだけのエネルギー E を Hawking 放射で放つ。その間の ΔSgen/kB を、3+1 次元の黒体放射として求めよ。また、この放射のエントロピーと (2) で消えた箱のエントロピーを比べ、情報の行方について何が問題として残るかを述べよ。(使う道具:7.1.4 節・第3部第3章のデータ処理不等式・第7部第2章の 7.2.5 節)
解答
(1) TH=ℏc3/(8πGMkB)=6.17×10−8K、SBH/kB=4πGM2/(ℏc)=1.05×1077。箱の体積は V=34πR3=4.189×10−3m3 で、E=arT4V=7.566×10−16×8.1×109×4.189×10−3=2.567×10−8J、S=34E/T=1.141×10−10J/K、S/kB=8.26×1012。
(2) 遠方から落とすと c2δM=E で、ΔSBH/kB=E/(kBTH)=2.567×10−8×1.174×1030=3.01×1022。外のエントロピーは 8.26×1012 減るが、SBH はそれより9桁あまり多く増えるので ΔSgen>0。
(3) 式 (7.1.2) から ΔSBH/kB=2πER/(ℏc)=2π×2.567×10−8×0.1/(3.162×10−26)=5.10×1017。これは Bekenstein 上限の値そのもので、S/kB=8.26×1012 はその 1.62×10−5 倍にすぎない(式 (7.1.13) で 2ℏc/(3πkBTR)=1.62×10−5)。Casini の形では、箱を楔の端から R 以内に置いたとき ΔK≤2πER/(ℏc)=5.10×1017 で、ΔS≈8.26×1012 なのでD=ΔK−ΔS は ΔK とほぼ同じ 5×1017 の桁である。この箱は真空からエネルギーの面では大きく離れているが、エントロピーの面ではほとんど上限を使っていない。
(4) 比 (7.1.13) が1になる温度は T∗=2ℏc/(3πkBR)=4.86×10−3K。このとき熱放射の典型的な波長は2πℏc/(2.82kBT∗)=1.05m で、箱の半径 0.1 m の 10 倍ある。黒体放射の式は箱が波長よりずっと大きいことを前提にしており、この温度では箱に収まるモードがほとんど無いので、E と S をモードごとに数え直さなければならない。最大エントロピー原理で言えば、エネルギーの平均を固定したときの分布は箱の実際のモードの上で作るもので、存在しないモードにエントロピーを割り当てた連続の式が上限を破って見えただけである。Casini の形 ΔS≤ΔK は Klein の不等式なので、モードを正しく数えれば破れない。
(5) 放射の間 ΔSBH/kB=−3.01×1022、ΔSrad/kB=34×3.01×1022=4.02×1022 で、ΔSgen/kB=+1.00×1022(式 (7.1.20))。一般化第二法則は成り立つ。しかし、出てきた放射は温度 TH の熱的な放射で、そのエントロピー 4.02×1022 は箱の中身の情報(8.26×1012 nat)を担っているかどうかを何も言わない。熱状態はその温度以外の情報を持たないので、半古典の計算のままでは箱の中身の情報は放射に出てこない。外から見て箱の中身の区別が付かなくなる過程は、データ処理不等式の言葉では「区別する力 D が減る」過程で、それ自体は第二法則と矛盾しない。問題は、ブラックホールが蒸発しきった後に、全体の状態を元に戻せる(ユニタリな)情報がどこにも残らないように見えることである。放射が内側ともつれていることと、その矛盾の正確な言い方は第7部第2章で扱う。
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com