解析力学から様々な理論分野を組み立てる 第5部 第1章 §5.1.1 ★★★ 平衡の密度行列は ρ^eq=e−βH^/Z。von Neumann 方程式の定常解であり、自由エネルギーの汎関数を最小にする。差は kBT 掛ける量子相対エントロピー
第3部では、相空間の上の Hamiltonian H(q,p) にカノニカル分布 e−βH/Z を当てて熱力学を組み立てた。第4部では、同じ H を演算子 H^ に替え、時間発展の演算子 e−iH^t/ℏ で量子力学を組み立てた。この章では2つを合わせ、演算子 e−βH^ を選ぶ。選んだものは第3部の分布の形をそのまま保っているが、H^ が演算子なので、同じ式から古典の統計力学に無い結果がいくつも出る。
選ぶもの(5.1.1節)は、密度行列 ρ^eq=e−βH^/Z と分配関数 Z=Tre−βH^ である。von Neumann 方程式の定常解であることと、自由エネルギーの汎関数を最小にすることの2通りでこの形を選ぶ。当てる道具(5.1.2節)は、e−βH^ を時刻 t=−iβℏ の時間発展の演算子とみなす読み方で、そこから Z が周期 βℏ の閉じた経路についての経路積分 ∮Dqe−IE[q]/ℏ になる。出てくるものは3つある。第一は、経路が短くなる高温で古典の Z=∫e−βHdΓ に戻ることと、その ℏ2 の補正である(5.1.3節)。第二は、同じ種類の粒子を入れ替えた経路が長い1本の輪につながることで、そこから Bose 分布と Fermi 分布と理想量子気体の状態方程式が出る(5.1.4節)。第三は、虚時間の周期性から出る詳細つり合いと、量子の揺動散逸定理である(5.1.5節)。最後に授業で習う形と並べ(5.1.6節)、まとめと総合問題で終える。
記号は記法の正本に従う。この章には作用とエントロピーが同時に出るので、実時間の作用を S[q]、虚時間(Euclid)の作用を IE[q] と書き、熱力学のエントロピーには S熱、von Neumann エントロピーには S(ρ^) と必ず添字か引数を付ける。温度 T が出るので、運動エネルギーに T を使わず、時間の長さにも T を使わない。虚時間は τ と書く(この章に固有時は出ない)。量子の演算子には帽子を付ける。
密度行列の定常解
量子系の状態は密度行列 ρ^(エルミートで正、Trρ^=1)で表し、物理量の平均は ⟨A^⟩=Tr(ρ^A^) で計算する。時間の向きは第3部第1章で古典の Liouville 方程式と並べた von Neumann 方程式
∂t∂ρ^=iℏ1[H^,ρ^](5.1.1)
で決まる(第3部第1章)。古典の ∂t∂ρ={H,ρ} の Poisson 括弧を、交換子を iℏ で割ったものに替えた形である(第4部第1章)。
平衡の状態は時間によらないので、[H^,ρ^]=0 を満たす。H^ の固有状態を ∣n⟩、固有値を En とすると、⟨m∣[H^,ρ^]∣n⟩=(Em−En)⟨m∣ρ^∣n⟩=0 だから、Em=En の行列要素はすべて 0 である。準位に縮退がなければ ρ^=∑npn∣n⟩⟨n∣ と対角になり、pn を En の関数 pn=f(En) とみなせるので ρ^=f(H^) と書ける。古典で {H,ρ}=0 から ρ=F(H) を選んだのと同じ段取りで、定常という条件だけでは関数 f は決まらない。
f を決めるのは、第3部第3章と同じく加法性である(第3部第3章)。相互作用の弱い2つの部分系 1, 2 では H^=H^1+H^2 で、平衡の状態は部分系の状態の積 ρ^=ρ^1⊗ρ^2 に近い。ρ^=f(H^)、ρ^i=fi(H^i) を固有値で書くと f(E1+E2)=f1(E1)f2(E2) で、これを満たす連続な関数は指数関数だけである。こうして
ρ^eq=Ze−βH^,Z=Tre−βH^=n∑e−βEn,β=kBT1(5.1.2)
を選ぶ。トレースは基底の取り方によらないので、Z は固有値を知らなくても定義できる。この性質を 5.1.2節で位置の基底に当てる。
定義 5.1.1(カノニカル密度行列と熱力学量)
温度 T の熱浴に接した系の平衡の状態を式 (5.1.2) の ρ^eq とし、自由エネルギー・内部エネルギー・エントロピーを
F=−kBTlnZ,U=Tr(ρ^eqH^)=−∂β∂lnZ,S熱=kBS(ρ^eq)=kB(lnZ+βU)(5.1.3)
で定める。S(ρ^)=−Tr(ρ^lnρ^) は無次元の von Neumann エントロピーで、lnρ^eq=−βH^−lnZ を入れると最後の等号が出る。
式 (5.1.3) は F=U−TS熱 を満たし、第3部第4章の Legendre 変換の関係がそのまま成り立つ(第3部第4章)。古典の式との違いは、Z が積分でなくトレースであることだけである。違いが表に出るのは、H^ の中に互いに交換しない演算子(q^ と p^、異なる向きのスピン)が入っているときで、そのとき e−βH^ は e−βp^2/2m と e−βV(q^) の積に分けられない。古典の Z で運動量の積分と座標の積分が独立に行えたのは、p と q が交換するからである。
自由エネルギーの最小
第3部第3章では、相空間の密度 ρ の汎関数 F[ρ]=∫ρHdΓ−TS[ρ] がカノニカル分布で最小になり、差が kBT 掛ける相対エントロピーであることを示した。量子でも同じことが成り立つ。密度行列 ρ^ の汎関数
F[ρ^]:=Tr(ρ^H^)+kBTTr(ρ^lnρ^)(5.1.4)
を考える。lnρ^eq=−βH^−lnZ から H^=−kBT(lnρ^eq+lnZ) を代入すると、
F[ρ^]=−kBTlnZ+kBTTrρ^(lnρ^−lnρ^eq)=F+kBTD(ρ^∥ρ^eq)(5.1.5)
を得る。D(ρ^∥σ^)=Trρ^(lnρ^−lnσ^) は量子相対エントロピーである。代入は演算子の等式で、ρ^ と H^ が交換するかどうかによらない。
補題 5.1.2(Klein の不等式)
密度行列 ρ^, σ^(σ^ は正定値)について D(ρ^∥σ^)≥0 で、等号は ρ^=σ^ のときに限る。
証明
ρ^=∑iri∣ri⟩⟨ri∣、σ^=∑jsj∣sj⟩⟨sj∣ と対角化し、Pij=∣⟨ri∣sj⟩∣2 とおく。Pij≥0 で、行の和も列の和も 1 である(2つの正規直交基底の重なり)。Trρ^lnρ^=∑irilnri=∑ijPijrilnri、Trρ^lnσ^=∑ijPijrilnsj なので、∑ijPij(sj−ri)=1−1=0 を足して
D(ρ^∥σ^)=i,j∑Pij(rilnri−rilnsj−ri+sj)
と書ける。x≥0, y>0 で g(x,y)=xlnx−xlny−x+y≥0 であり(x について微分すると ln(x/y) で、x=y で最小値 0)、各項が負にならない。等号は Pij>0 のすべての組で ri=sj となるときで、これは ρ^ のどの固有ベクトルも同じ固有値の σ^ の固有空間に入ることを意味するので、ρ^=σ^ である。
定理 5.1.3(Gibbs の変分原理と Peierls–Bogoliubov の不等式 ★★★)
任意の密度行列 ρ^ について F[ρ^]≥F で、等号は ρ^=ρ^eq に限る。特に、別の Hamiltonian H^0 の平衡状態 ρ^0=e−βH^0/Z0 を入れると
F≤F0+⟨H^−H^0⟩0,F0=−kBTlnZ0(5.1.6)
が成り立つ。さらに任意の正規直交基底 {∣ϕn⟩} について
Z≥n∑e−β⟨ϕn∣H^∣ϕn⟩(5.1.7)
が成り立つ(Peierls の不等式)。
証明
前半は式 (5.1.5) と補題 5.1.2 から従う。式 (5.1.6) は F[ρ^0]=Trρ^0H^+kBTTrρ^0lnρ^0 にlnρ^0=−βH^0−lnZ0 を入れたものである。式 (5.1.7) は、試しの状態を ρ^′=∑npn∣ϕn⟩⟨ϕn∣ に限り、F[ρ^′]=∑npnhn+kBT∑npnlnpn(hn=⟨ϕn∣H^∣ϕn⟩)を pn について最小にすると pn∝e−βhn で、最小値が −kBTln∑ne−βhn になることから従う。これが F=−kBTlnZ 以上である。
式 (5.1.6) は第3部第7章で平均場の土台にした Gibbs–Bogoliubov の不等式の量子版で(第3部第7章)、量子では Peierls–Bogoliubov の不等式とも呼ぶ。古典の証明は相空間の積分の Jensen の不等式で済んだが、量子では H^ と H^0 が交換しないので e−βH^=e−βH^0e−β(H^−H^0) であり、Jensen の不等式をそのまま当てることはできない。式 (5.1.5) は交換関係を一度も使わずに同じ結論を出す。試しの H^0 を1体の演算子の和に限ると、有限温度の Hartree–Fock 近似になる。式 (5.1.7) は、H^ の対角成分だけを残して非対角成分を捨てると Z が小さく見積もられる、つまり自由エネルギーが高く見積もられることを述べている。等号は {∣ϕn⟩} が H^ の固有状態のときで、量子の揺らぎ(非対角成分)は必ず自由エネルギーを下げる。
例題 5.1.1 傾いた磁場の中のスピンと対角だけの試し ★★
オリジナルスピン 21 を H^=−2ℏ(ωzσz+ωxσx) で表す。温度は βℏωz=βℏωx=1 とする。
- (1) 厳密な Z と F/kBT、平均 ⟨σz⟩, ⟨σx⟩、S(ρ^eq) を求めよ。
- (2) σz の固有状態 ∣↑⟩, ∣↓⟩ で対角な密度行列に限って F[ρ^] を最小にせよ。最小値と厳密な F の差が kBTD(ρ^′∥ρ^eq) に等しいことを確かめよ。
解答
(1) ωzσz+ωxσx の固有値は ±Ω、Ω=ωz2+ωx2 なので、H^ の固有値は ∓ℏΩ/2 でZ=2cosh(βℏΩ/2)。βℏΩ=2 から Z=2cosh(0.7071)=2.521、F/kBT=−lnZ=−0.9247。磁場の向きの単位ベクトル (ωx,0,ωz)/Ω に沿ったスピンの平均は tanh(βℏΩ/2)=0.6088 で、成分に分けると⟨σz⟩=⟨σx⟩=0.6088/2=0.4305。2つの固有値の確率 p±=e±0.7071/Z から S(ρ^eq)=−∑plnp=0.4942。
(2) 対角な ρ^′=p∣↑⟩⟨↑∣+(1−p)∣↓⟩⟨↓∣ では Trρ^′σx=0 なので、F[ρ^′] に入るのは対角成分 ∓ℏωz/2 だけで、定理 5.1.3 の証明のとおり最小は p∝eβℏωz/2、最小値は −kBTln(2cosh(βℏωz/2))=−0.8133kBT である。厳密な値との差は kBTln(cosh0.7071/cosh0.5)=0.1115kBT で、ρ^′ と ρ^eq の行列から D(ρ^′∥ρ^eq) を数値で計算しても 0.1115 になる。Peierls の不等式 (5.1.7) の言葉では、σz の基底での右辺 2cosh0.5=2.255 が、厳密な Z=2.521 より小さい。対角だけの試しは、横向きの磁場 ωx による量子の揺らぎを丸ごと捨てているので、自由エネルギーを 0.11kBT 高く見積もる。
近似の裏付け
型 A(射影) | 小さいもの 試しの密度行列を1体の H^0 の平衡状態に限る(有限温度の Hartree–Fock) | 証明 条件付き(F0+⟨H^−H^0⟩0≥F は式 (5.1.5) で厳密。真の F との差の評価はない) | 行き先 近似の数理 第5章
AI(Claude)が書いた教材を、木下が勉強しながら公開しています。式と数値は検算していますが、誤りが残っているかもしれません。誤りのご指摘・削除のご依頼をいただければ直します。 連絡先:support@tecktom.com