量子力学の様々な構成方法 第3部 第6章 §3.6.1 ★★★ ハミルトニアンが下に有界なら e−iH^z/ℏ は複素時間 z の下半平面で解析的で、その虚軸上の値が e−βH^ である
第3部の型(出発点の要請 → 基本の対象 → 基準との同値 → 共通例題 → 得意な問題 → 限界)のうち、この章は「得意な問題」の最初の柱を受け持つ。第3部第2章(第3部第2章)と第3部第5章(第3部第5章)で、実時間の伝播関数 ⟨xf∣e−iH^t/ℏ∣xi⟩ と時間分割した経路積分が両向きに同じものであることを示した。この章で出発点に置くのは、その同じ伝播関数を時間 t の複素数の関数と見て、虚軸 t=−iτ へ延ばすという操作である。延ばした先の e−βH^ は熱平衡の密度行列の分子そのもので、トレースをとると分配関数 Z=Tre−βH^ になる。同値性の地図(第1部第1章)の橋「経路積分 ↔ 統計力学」は、この章で一般の形を証明する。
材料はすでにそろっている。第3部第3章(第3部第3章)は Mehler 核に t=−iβℏ を入れて共通例題①の Z を出したが、その置き換えがなぜ許されるかを後回しにした。第4部第4章(第4部第4章)は熱平衡を密度行列の側から組み立て、位置表示の熱平衡の核が虚時間の伝播関数であることを調和振動子で確かめた。第5部第1章(第5部第1章)は位相空間の側から Wigner–Kirkwood の ℏ2 補正を出し、それが虚時間の経路積分の「ぼかしたポテンシャル」と同じ補正であることを、揺らぎの分散 ℏ2β/(12m) を借りて示した。この章はそれらの借りを返す。順に、次の5つを示す。
- ハミルトニアンが下に有界なら、時間発展の演算子は複素時間の下半平面へ解析的に延び、e−βH^ はその虚軸上の値である(3.6.1節)。
- Trotter の積公式は e−βH^ にそのまま使え、Z は Euclid 作用 SE の重み e−SE/ℏ をつけた周期 βℏ の閉じた経路の和になる。重みが正なので、この経路積分は本物の確率測度(Wiener 測度)の上の期待値として定義できる(3.6.2節)。
- 閉じた経路を Fourier 成分(Matsubara 成分)に分けると、調和振動子の Z と虚時間の相関関数が Gauss 積分の積で厳密に出る(3.6.3節)。
- 経路を重心と揺らぎに分けると、高温で古典の分配関数が出てきて、その次の補正が Feynman のぼかしたポテンシャルになる(3.6.4節)。
- 時間分割した Z は、ばねでつながれた古典の輪(ポリマー)の配置の積分と同じ式であり、量子の統計力学が古典の統計力学に写る(3.6.5節)。
3.6.6節で橋を両向きに証明し、基準・密度行列・位相空間・代数の各部の書き方と並べる。
記号は第3部の前の章に揃え、1次元の位置を x、逆温度を β=1/(kBT)、虚時間を τ と書く(この章には固有時が出ないので添字なしの τ を使う)。Euclid 作用は SE[x]=∫0βℏ[2m(dx/dτ)2+V(x)]dτ で、熱的波長は λT=2πℏ2β/m である。この章では作用とエントロピーが同じ節に出ないので、作用を S、Euclid 作用を SE と書く。
時間発展の演算子を複素時間へ延ばす
基準(第1部第2章)では、時間発展は自己共役なハミルトニアン H^ のスペクトル分解 H^=∫EdP(E) を使って e−iH^t/ℏ=∫e−iEt/ℏdP(E) と定義される。この右辺の t を複素数 z=t−iτ に置き換えた
U^(z):=∫σ(H^)e−iEz/ℏdP(E),∣e−iEz/ℏ∣=e−Eτ/ℏ(z=t−iτ)(3.6.1)
が有界な演算子として意味を持つかどうかは、被積分関数の絶対値 e−Eτ/ℏ がスペクトルの上で有界かどうかで決まる。物理のハミルトニアンは下に有界である(H^≥E0)。このとき τ≥0 なら e−Eτ/ℏ≤e−E0τ/ℏ がすべての E≥E0 で成り立つので、U^(z) はノルムが e−E0τ/ℏ 以下の有界な演算子になる。逆に τ<0(上半平面)では E→∞ で e−Eτ/ℏ が際限なく大きくなり、運動エネルギーのように上に有界でない H^ では U^(z) を定義することができない。
命題 3.6.1(時間発展の下半平面への解析接続)
H^ を自己共役で H^≥E0 とする。式 (3.6.1) の U^(z) は閉じた下半平面 Imz≤0 で定義され、次を満たす。
- (i) ∥U^(z)∥≤eE0Imz/ℏ で、U^(z1)U^(z2)=U^(z1+z2)(半群の性質)。
- (ii) 任意の ϕ,ψ について z↦⟨ϕ∣U^(z)∣ψ⟩ は開いた下半平面で解析的で、実軸に近づくと実時間の ⟨ϕ∣e−iH^t/ℏ∣ψ⟩ に連続につながる。
- (iii) 虚軸上の値は U^(−iβℏ)=e−βH^ で、β>0 について自己共役・正の演算子である。
証明
(i) は ∣e−iEz/ℏ∣=eEImz/ℏ≤eE0Imz/ℏ(Imz≤0、E≥E0)と、関数の積がスペクトル積分の積になることから出る。(ii) ⟨ϕ∣U^(z)∣ψ⟩=∫e−iEz/ℏdμϕψ(E) と書ける(μϕψ は全変動が ∥ϕ∥∥ψ∥ 以下の複素測度)。Imz≤−δ<0 の範囲では、z について微分した被積分関数 (−iE/ℏ)e−iEz/ℏ の絶対値が (∣E∣/ℏ)e−Eδ/ℏ で抑えられ、これは E≥E0 で有界なので、積分と微分を入れ替えてよい。したがって開いた下半平面で解析的である。実軸への連続性は、被積分関数が e−E0Imz/ℏ 程度で一様に抑えられることと優収束定理による。(iii) は z=−iβℏ を入れると被積分関数が正の実数 e−βE になることによる。
この命題が、第3部第3章で Mehler 核に t=−iβℏ を代入した操作の正当化である。実時間で求めた伝播関数の式が、下半平面で解析的な関数の境界値になっていれば、その式を解析接続したものが虚軸上の値 ⟨x∣e−βH^∣x′⟩ を与える(解析接続は一意なので、どの経路で延ばしても同じものになる)。平方根の枝は、実軸の少し下(t−i0)から連続に延ばして選ぶ。第3部第4章(第3部第4章)で焦点を越えるときの位相を t−i0 の枝で決めたのと同じ約束で、下半平面が解析性のある側であることがその約束の理由になっている。図 3.6.1 は、この延ばし方を複素時間の平面に描いたものである。

図 3.6.1 複素時間 z の平面。灰色の下半平面で U^(z)=e−iH^z/ℏ は有界かつ解析的で、実軸(太線、実時間の時間発展)はその境界である。虚軸上の点 z=−iβℏ の値が熱平衡の密度行列の分子 e−βH^ になる(破線)。矢印は実時間の積分路を虚軸へ回す Wick 回転を表す。
虚時間の Schrödinger 方程式は拡散方程式
ρ^(τ):=e−τH^/ℏ(τ≥0)は ℏ∂τρ^=−H^ρ^ を満たす。これは Bloch 方程式と呼ばれ、Schrödinger 方程式 iℏ∂tU^=H^U^ に t=−iτ を入れたものである。自由粒子 H^=p^2/(2m) の位置表示では
∂τ∂ρ=2mℏ∂x2∂2ρ,ρ(x,x′;τ):=⟨x∣e−τH^/ℏ∣x′⟩(3.6.2)
となり、拡散係数 D=ℏ/(2m) の拡散方程式である。第3部第5章の例題で、1区間の核を実の熱核に替えると同じ拡散係数の拡散方程式が出ることを見た。その計算の意味がここで分かる。実時間の核 m/(2πiℏt)eim(x−x′)2/(2ℏt) に t=−iτ を入れると、2πiℏt=2πℏτ、i/t=−1/τ なので
ρ0(x,x′;β):=⟨x∣e−βp^2/(2m)∣x′⟩=2πℏ2βmexp[−2ℏ2βm(x−x′)2]=λT1exp[−λT2π(x−x′)2](3.6.3)
を得る(τ=βℏ)。振動していた Fresnel 型の核が、幅 λT/2π の正の Gauss 関数に変わった。対角要素 ρ0(x,x;β)=1/λT は「長さ λT あたり状態が1つ」という古典の状態数の数え方そのもので、長さ L の箱では Z≈L/λT になる(箱の端の影響は λT/L の次数で落ちる)。
例題 3.6.1 Mehler 核を虚軸へ延ばして Z を出す ★★★
オリジナル共通例題①の Mehler 核(第3部第3章で求めた形、0<ωt<π)K=2πiℏsinωtmωexp{2ℏsinωtimω[(xf2+xi2)cosωt−2xfxi]} を考える。
- (1) t=−iβℏ を入れ、前因子の平方根の中身が正の実数になることを確かめて、⟨x∣e−βH^∣x′⟩ を書け。
- (2) 対角要素を積分して Z=1/(2sinh(βℏω/2)) を出せ。
- (3) 電子(m=9.109×10−31kg)の 300K での λT と、⁴He 原子(m=6.646×10−27kg)の 2.17K での λT を求めよ。
解答
(1) sin(−iβℏω)=−isinh(βℏω)、cos(−iβℏω)=cosh(βℏω) である。前因子の中身の分母は 2πiℏ⋅(−isinhβℏω)=2πℏsinh(βℏω)>0 なので、平方根は正の実数で、枝の選び方に迷いはない。指数の係数は imω/(2ℏ⋅(−i)sinhβℏω)=−mω/(2ℏsinhβℏω) になり、
⟨x∣e−βH^∣x′⟩=2πℏsinhβℏωmωexp{−2ℏsinhβℏωmω[(x2+x′2)coshβℏω−2xx′]}
を得る。右辺は x,x′ について対称で正の値をとり、命題 3.6.1(iii) の「自己共役で正」と合っている。
(2) x=x′ とおくと指数は −ℏmωsinhscoshs−1x2=−ℏmωtanh2sx2(s=βℏω)である。Gauss 積分 ∫e−ax2dx=π/a を使うと
Z=2πℏsinhsmωmωtanh(s/2)πℏ=2sinhstanh(s/2)1=4sinh2(s/2)1=2sinh(s/2)1
となる(sinhstanh(s/2)=2sinh(s/2)cosh(s/2)⋅sinh(s/2)/cosh(s/2)=2sinh2(s/2))。共通例題①の正答と一致する。
(3) λT=h/2πmkBT である。電子では λT=6.626×10−34/2π⋅9.109×10−31⋅1.381×10−23⋅300m=4.30nm、⁴He では λT=0.592nm である。電子の λT は原子の間隔(0.1〜0.5nm)より長く、室温の金属の電子が量子の統計に従う理由の1つになる。液体 ⁴He の原子の間隔は約 0.36nm で、2.17K では λT がそれを上回る。
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